メ と ム チ


「全員集合!」
 
弦一郎の呼び声に、グラウンドに散っていた男子テニス部員全員が駆け集まった。
張りのある低い声は、とてもよく通る。
大抵の部員はその厳しい性格ゆえに敬遠しがちなのだが、俺はこの声を好いている。
弦一郎本人の人間性を全く考慮しないとしても、十分良い声だ。
勿論、惚れた欲目もあるのだろうが。
 
「全員集まった? じゃあ、次のランキング戦の出場者を発表するね」
 
微笑みと共に告げる精市の声はいつもながらに柔らかい。
弦一郎の鋭い声の後は特にそう感じられて、場の空気がホッと和らぐ。
精市が決して優しいだけの男でないことは、部員の誰もが重々承知している。
にも関わらず、命令口調であっても人を不快にさせないのは、ひとえにその実力と人柄のなせる技だろう。
なんにせよ、上に立つ者としての素質を十二分に備えているのには間違いない。
 
「…以上、五ブロック、二十五名」
 
読み上げられたのは、現レギュラー陣を含む二十五名だ。
 
「わかっているとは思うが、我が立海大附属は実力主義だ。今の地位にいつまでも甘んじていられると思うな」
 
弦一郎の言葉にピリリッと場の空気が引き締まる。
人に引かれるほど厳格な男だが、だからこそ、こういう場での一言には重みがある。
精市がニッコリと笑ってその後を次いだ。
 
「うん。レギュラー陣は気を抜かず、そして今度ランキング戦に参加する部員はレギュラーになるチャンスだからね。
精一杯頑張って欲しい」
 
先の弦一郎に比べれば格段に優しく、しかしハッキリとその意思を伝える精市の言葉は、弦一郎の言葉と相まっ
て、部員全員の心に非常な影響力を与える。
 
「以上だ」
「では、各自練習に戻れ!」
 
部長と副部長の声で、また部員たちはそれぞれの練習場所に戻っていく。
しかし、明らかに集合する前とは練習に臨む顔付きが違う。
たったあれだけの言葉で、ここまで気合の入り方が違うとは…
 
「どうした、蓮二」
 
立ち止まっていた俺に、弦一郎が声を掛けてきた。
 
「何か考え事か?」
「いや…」
 
心配そうにも聞こえる問い掛けに、何故だか笑いそうになりながら答える。
 
「いつもながら、良いコンビだと思ってな」
「誰がだ?」
 
問い返す弦一郎はわかっていないらしく、微かに首を傾げる。
俺がダブルスの観察でもしているのかと思って、コートをチラチラと振り返るその姿は、傍目にもかなり笑える。
 
「お前と精市が、だ」
 
笑いながら答えると、俺の言いたいことを理解したと見えて、ああ…と短く頷いた。
 
「部をまとめる者として、か…」
 
そう言った後で、すぐに反論してきた。
 
「しかし、俺よりも幸村が与える影響力の方がはるかに大きいだろう。俺は幸村の為に、出来得る限りの補佐を
しているのに過ぎん」
 
照れ隠し混じりに帽子を目深に被り直す弦一郎が可愛らしくもあり、その言葉の端々に、どうでもいいような引っ
掛かりを感じずにはいられない。
 
「ほう、精市の為に、な」
 
からかい混じりに揶揄してやると、皮肉に気付いたのか、まいった…という顔をした。
 
「妬いているのか?」
「何がだ?」
「そういうつもりで言ったわけではないぞ」
「だから何のことだ?」
 
意地悪く問い返し続けてやると、弦一郎は心底困った…という風に頭をかいた。
たまにこうしてからかってやるのが、何よりも楽しい。
およそこの男ほどからかって遊んで面白い人間もそうそういないだろう。
からかわれている方もいる方で、からかわれているのがわかっていながら、どうこの状況から抜け出したら良いかがわ
からなくて、ただ居心地悪そうにしているばかりだ。
それがなおさら面白いのだが、あまりからかうと今度は機嫌が悪くなるから、今日はこの辺でやめておいてやろう。
 
「冗談だ」
 
クスクス笑いながら言ってやると、ホッとした顔をしつつも、からかわれていたことにいささか不機嫌そうな顔になった。
 
「俺にはお前だけだぞ」
「…ああ。わかっているから、恥ずかしいことを大きな声で言うな」
 
真顔でこういうことを言える辺り、やはり弦一郎は普通の男じゃない。
 
「相変わらず恥ずかしい男だな」
 
と言ってやったら、
 
「何がだ?」
 
とまた首を傾げられた。
さっきの仕返しかとも思えるが、弦一郎の場合は本気だ。
本気で自分が恥ずかしい奴などとは微塵も思っていない。
やはり普通じゃない。
まぁ、こういう、現代ではとことん奇特な性格が気に入っているのだが。
 
「とにかく、俺は幸村の手伝いをしているだけであって、何もやましいところはないぞ。それに、俺の力で部を引っ張
れるとは思っていない。幸村あってこそ、だ」
 
気を取り直してそう明言する弦一郎に、微笑が漏れる。
奢らないところもこの男の美徳の一つだ。
 
「そう自分を過小評価するな。お前たち二人は良いコンビだ。お前たち一人一人でも、十分部を引っ張っていけ
ると思うぞ。だが、お前と精市二人が揃っている方がより部の為に良い。例えるなら…そう、『アメとムチ』というとこ
ろだな」
「『アメとムチ』…?」
 
眉をひそめる弦一郎に頷いた。
 
「ああ」
 
我ながら上手い表現だと思った。
 
そう、精市はアメ。
甘い甘い優しさで、人を惹き付ける。
 
弦一郎はムチ。
鋭い鋭い厳しさで、人をまとめあげる。
 
ただ甘いだけよりも、ただ厳しいだけよりも、その二つが揃った方がずっと効果があるものだ。
 
「お前が厳しければ厳しいほど、部員は精市の言うことを良く聞くようになる」
「俺はさしずめ嫌われ者か…」
 
嘆息する弦一郎に笑って答える。
 
「まあ、そう言うな。みんな本気でお前を嫌ってはいない。それに…」
「それになんだ?」
 
訊ねる弦一郎に、意図的に幾分か艶っぽさを滲ませながら笑いかける。
 
「どんなに部員から嫌われても、俺だけはいつでもお前が好きだぞ」
 
予想していたことだが、俺の言葉を聞くと、弦一郎は再び帽子を目深に被った。
 
「…馬鹿者」
 
簡単に照れる弦一郎が楽しくてたまらない。
意識せずに口説き文句を繰り出すくせに、こちらからの「好き」の一言にはめっぽう弱い。
天然タラシの素質は十分だ。
世の女がこの男をどうして放っておくのか理解出来ない。
俺としては、こういう反応をする男の方がずっとクるものがある。
…まぁ、これもつまりは惚れた欲目でしかないのだが。
 
「しかし…俺は中途半端だな…」
「…と言うと?」
 
溜め息と共に呟くと、耳聡く聞きつけた弦一郎が問い掛けてきた。
 
「自分で言うのもなんだが、俺は優しくも厳しくもないからな」
 
部の参謀を預かる俺は、他人にそれほど優しくはしていないし、だからと言って過度の厳しさもない。
勿論、立海大附属として当然の厳しさや新入生への気配りくらいは意識しているが。
俺自身は、弦一郎ほどの厳しさも、精市ほどの優しさも、どちらも人に与えられない。
 
「どっちつかずは嫌われやすいものだ。イソップの寓話のようにな」
 
有名なコウモリの話を思い出して、一人含み笑いをする。
まさしく俺の立場はコウモリだ。
そうだろう?と笑いかけると、弦一郎は何も言わなかった。
 
「部員から好かれる参謀というのも悪くないかもな。明日からは優しく振舞ってみようか?」
 
冗談でそう言ってみたら、黙っていた弦一郎が急に喋りだした。
 
「お前はそのままでいいだろう。中庸が一番だぞ」
 
その常ならぬ早口に少々驚く。
 
「しかし…」
 
反論しようとした俺の言葉を遮って、再び弦一郎は物凄い速さで話し出した。
 
「とにかく!お前は今のままでいい。部員のことは俺と幸村に任せておけ。お前がわざわざ人間関係で頭を悩ませ
ることもあるまい。無理に優しくすることもない…」
 
ただの冗談なのだが、何を本気にとっているのだろうか。
大体、人から好かれようが嫌われようが、俺の基本姿勢は変わらない自信がある。
元来俺は淡白な性質だからな。
今までの台詞はまるで俺のことを思ってのように聞こえるが…
そうでないことは確かだ。
悪戯心を起こして、試しにこんなことをうそぶいてやった。
 
「優しくした方が、人からは好かれるがな」
「……」
 
途端に、弦一郎は黙り込んだ。
落ち着かなく、何か言うべき言葉を探しているらしい弦一郎に笑いそうになる。
全く、なんと単純な男なのだろう。
面白いくらいわかりやすい。
同時に、くすぐったいほどの嬉しさで、柄にもなく舞い上がりそうだ。
 
「安心しろ」
 
どこか気の弱そうな視線で俺を見る弦一郎に微笑む。
こういうところの可愛さって奴を、俺と精市以外の奴らはわかっていない。
 
「心配しなくとも、お前以外には優しくしない」
 
囁いてやったら、見る見るうちに赤くなる弦一郎は、予想を全く裏切らない。
ああ、面白い。
 
「……馬鹿者」
 
帽子のつばで必死に顔を隠そうとするが、やれやれ、お前はキャップでは赤くなった耳までは隠せないということを
知らないのか?
 
「誰かが言っていたことだが…」
 
遠くからは練習に打ち込む部員たちの気合の入った掛け声が聞こえてくる。
副部長と参謀が、こんな所でのんきに睦言を交わしていていいものやらと思わないでもなかったが。
今のこの一時があまりに惜しい。
 
「『嫉妬を愛の証と考えるのは馬鹿げている』というのがあったが、俺はそうは思わないな」
 
次のランキング戦、もしかしたら俺たち二人はレギュラー落ちするかもしれない、という考えが微かに頭を過ぎった
が。
未だ照れている弦一郎に笑い掛けた。
 
「嫉妬は愛すればこそ、だろう、弦一郎?」
 
とっておきの微笑でもって顔を覗き込んでやったら。
わかっていながらこういうことを言う俺の言葉に、弦一郎は真っ赤になって絶句して、次いで苦虫を噛み潰したよ
うな顔になって、それからしばらくして、ようやくこう言った。
 
「…お前は、ちっとも俺に優しくないぞ…」
 
その一言に。
ついに堪え切れなくなって俺は大声で笑い始めた。
隣で再び赤くなった弦一郎が怒りながら何ごとか喚いているが、残念ながら自分の笑い声でちっとも聞こえない。
高らかに笑う俺と大声で怒鳴る弦一郎に、部員全員の視線が集まる。
「気を抜かないように」と言った矢先に、しかもそう言った張本人が、こんな所で油を売っていていいものか。
俺たちのふざけた姿に、レギュラーたちは呆れ気味、その他の部員に至っては闘争心を燃え上がらせたようで。
ますますもって、次のランキング戦危ないかもな、と思う。
 
「弦一郎、そろそろ練習に戻らないと、レギュラー落ちするぞ」
 
笑い疲れて傍の弦一郎を振り返ると、立海の皇帝様はもう普段通りの姿に戻っていた。
 

――お前と一緒なら、何処まで堕ちてもいい――
 

うっすらとそんな退廃的なことすら思う俺の耳に、現実主義な弦一郎の不敵な声。
 
「そんなことにはならん。俺はまだまだ上を目指す」
 
自信に満ち溢れる弦一郎の声は、やはり心地好い響きで。
敗北を知らない男が目指すものは、何処までも遠い高みだけで。
 
「勿論、お前もだろう」
 
当然のことのように俺を振り返るお前に。
 
「…ああ」
 

――お前と二人で堕ちるよりも、お前と二人で昇っていく方がずっといい――
 

「勿論だ」
 
笑み交わして、俺たちはあるべき場所へ戻る。
前を歩く弦一郎の背中に語りかける。
 
「…弦一郎」
「どうした」
「あまり俺を甘やかすな」
「?」
 
訝しげな弦一郎にそっと笑う。
お前がアメばかり与えるから。
だから俺は調子にのるんだ。
時にはムチで躾ておかないと、後悔するぞ。
その辺のことに早く気付け。
そうでないと、
 
「お前との力関係をひっくり返すぞ…」
 

――俺が覇権を握る日は、一体いつかな?――
 

聴こえないように呟いて、小さく笑ってやった。
 
 
 
 
 
 
 
 

*END*














CALL MEサキコさんに頂いた真柳小説です。

お話がすごく綺麗にまとまっていて、文章力のない私は感動の溜

息をつくばかりです。うらやましい…!

サキコさんのお書きになる柳が凛々しくて、こんな言い方もなんで

すが男前で格好良いです(>u<)。

会話の掛け合いが息が合っている感じで、二人の恋愛中の雰囲

気に癒されました。こんなに愛されて真田は幸せものです(*^^*)

サキコさん本当にどうもありがとうございました!!











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